大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和24年(行モ)9号 決定 1949年5月28日

申請人

花畑角二

外二名

被申請人

國立大阪厚生園長

主文

申請人等の申請を却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

申請の趣旨

申請人等代理人は「被申請人が昭和二十四年三月十日申請人等に対してなした國立大阪厚生園よりの退所を命ずる行政処分の執行は、右行政処分取消の本案訴訟の判決があるまでこれを停止する。」との裁判を求めた。

事実

国立大阪厚生園は昭昭二十三年厚生省告示第四十七号国立療養所入所規程により、結核性疾患、精神障碍、中枢神経障碍、癩、温泉療養を必要とする患者を入所療養せしめる営造物で、被申請人はその園長であり、申請人等はそれぞれ健康保険、労働者職員共済組合、生活保護法により結核性胸部疾患の為已むなく右厚生園に入院加療中のものである。

ところで、申請人等を含む二百八十名の全入院患者は患者自治会を結成し、給食、診察、病衣その他の療養條件の改善並びに医療民主化の為に被申請人と種々折衝交渉を重ねていたのであるが、最近食糧部の調査によつて、ララ物資である砂糖三十キロに関する不正、病院用加配米の不正受配等、厚生園当局の数々の不正事実を発見したので、患者相互の意志疎通を図り、これに対する自治会の態度を決定する為、申請人等において昭和二十四年三月八日病院用のマイクを使用せんとしたところ、被申請人はこれをもつて入所規定に反するものとし、同月十日申請人等三名に対し、

「放送機ノ使用ハカネテ厳禁セル旨通達シアルニ拘ラズ三月八日午前十時三十分右三名ハ無断ニテ放送室ニ入リ療養所経営問題ニ付キ放送ヲ開始シタルヲモツテ職員ガコレヲ靜止シタル処暴力ヲ以テ之ヲ疏止シ放送ヲ続ケタル上酒気ヲ帯ビテ事務室ニ這リ職員ニ対シ脅迫的言辞ヲ弄シ執務ヲ妨害シ著シク事務ヲ渋滯セシメタリ」

との理由で入所規定第六條及び第八條第二号により命令退所を言渡すに至つた。

しかし、右入所規定第六條は「療養所長は患者に対し療養上及び診療上又は所内の秩序維持の為必要と認める指示をなすことができる。」というのであり、第八條は「療養所長は入所患者が左の各号の一に該当するときは退所を命ずることができる(一)療養所における療養の必要がなくなつたとき。(二)第六條の指示に遵わずその他不都合の所為があつたとき。」というのであつて、右規定は国立療養所の営造物権力の内容を法定したものである。そして、営造物権力は営造物の内部でその秩序維持の為にする消極的な規律権に止まるのが一般で、右権力の発動には厳として限界があるのであつて、右権力に基くすべての命令及び処分は当該営造物の特定目的の範囲内に止まるべきでありその必要の程度を超えることはできないのであつて、特に憲法の規定する基本的人権の保障をおかしてはならないのである。従つて右入所規定第六條及び第八條はいずれも療養所長の自由裁量権を認めたものではなく、法規裁量を規定したものであり第八條第二号によつて退所を命ずるには単に形式的に同号所定の事由があるだけでは足りないのであつて、現に療養の継続を必要とする疾患を有する患者の治療を中止して退所を命ずるには、同号所定の所為があり、しかもその所為が懲戒権その他内部規律権を以てしては処置することができない程度に重大であり、且つ当該営造物の目的より見てその処分が憲法の保証する基本的人権を侵害しない場合に限られるのである。

申請人等に対する前記退所命令の理由とせられた事実はいずれも事実無根又は過大に評価した被申請人の捏造にかかるものであるのみでなく、申請人等はいずれも薄給の労働者であり過労の為胸部を冐され入所したものであるが、今なお経過よろしからず、申請人花畑は一ケ月前相当の喀血をしたものであり、同東野は三十八度の高熱の為極度に衰弱し、同佐野また宿痾の上に負傷の身であつて、国家として正に療養給付を続けるべきものであり、今退所せしめることは則ち申請人等を直ちに病餓死せしめるものといわねばならぬ。また更に、命令により退所せられたものは今後どの国立療養所へも入所できない関係上、各種保険による医療給付を受ける権利を全く奪われることになるのであつて、以上の事実から見て被申請人が申請人等に対して為した前記退所命令は無根の事実に基く違法のものであるかまたは少くとも命令退所権の範囲を逸脱した違法の処分であるから、申請人等はこれに対し右違法の行政処分取消の本案訴訟を提起したのであるが、右退所命令では退所期日を三月十三日と指定せられており、同日以後は一切の給食を中止せられ、また医療行為も停止せられておるのであつて、これだけでも既に生命の危険にさらされておるのに、この上更に退所を執行せられることになれば、申請人等はいずれも胸部疾患が昂進して発熱し、とうてい働くことはできない状態であるから直にち病餓死するの外はない。これは正に行政事件訴訟特例法第十條にいう行政処分の執行により償うことのできない損害を生ずる場合であり、この損害を避ける為緊急の必要がある場合に該当するから右行政処分の執行停止を求める。

というにあり、被申請人主張の患者の放送機使用禁止に関する指示のあつた事実は不知、これを患者に周知せしめたとの事実は否認する、被申請人主張の日に申請人等が退所した事実は認めるが右退所は被申請人において暴力をもつて強制的にこれを為さしめたものであると答えた。

被申請人代理人は申請却下の裁判を求め、答弁として主張した事実の要旨は、国立大阪厚生園が申請人等主張のような営造物で、被申請人はその園長であり、申請人等はその入院患者であつて、申請人等主張の日にその主張のような退所命令を発したことは認めるが、右退所命令は違法な処分ではない。

即ち国立療養所入所規程第六條には申請人等主張のような規定があり、被申請人は同規定に基きその指示として昭和二十二年四月一日十ケ條よりなる入所者心得を定め、更に昭和二十三年十二月中口頭を以て「患者が直接放送することは絶対禁止する。患者放送を求むるときは放送内容を記載せる原稿を医務係に提出し、医務係においてこれを放送する。但し放送内容は直接療養上に関することに限る。」旨を指示し、その後も度々これを繰返し、更に念の為昭和二十四年三月六日これを書面に作成したものであつて、その趣旨は当時一般患者に十分周知させてあるのである。右指示は患者が放送室に入り放送することは、病菌によつて放送室及び器物が汚染される虞があり、職員に対する予防医学的立場からと、病人たる患者自ら放送を行わずとも必要と認める場合は職員をして代放送せしめれば目的を達することができるであろうとの見解から患者の直接放送を禁止したものである。しかるに申請人等は昭和二十四年三月八日右指示を守らず、放送室に侵入し、所員が制止せんとするや腕力をもつて反抗し放送を行い、続いて事務室に侵入し脅迫的態度をもつて暴言を吐き所員の執務を妨害した、申請人等は従前から患者自治会のリーダーとなり、屡々所内の秩序をみだし、療養上の指示を無視する行動を敢てし、屡々放送室にも立入り直接療養に関しない放送をするなどの行為があつたものである。そして現在申請人等の病状は軽く、たとえ退所しても何等支障なしと認めたので、被申請人は入所規定第八條第二号の規定によつて申請人等に指示違反の行為があり、また不都合な所為があつたものとして申請人等の退所を命じたものであつて、かように入所患者が規律を遵守しない場合、それが重症でない限り所内の秩序を保持し、他の多数の入所患者の療養上の利益の為これを退所せしめることは已むを得ないことであり、これをもつて憲法の保証する基本的人権を侵害するものとはいえない。

のみならず、申請人等は右のように軽症患者であつて退所命令により償うことのできない損害を生ずるものとは認めることはできないだけでなく、申請人等は退所命令を受けた後も依然として所内に止まり移動マイクで過激な放送をして廻るなどの行為をして所内の秩序をみだし、入所患者の治療上甚しい支障を来たさしめておる現状であるから、退所命令が停止せられれば療養所の使命である結核治療上より公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞があるので申請人等の本件執行停止の申請は失当である。

なお、被申請人は申請人等に対し昭和二十四年四月二十八日本件退所命令の執行をなし、申請人等を現実に大阪厚生園より退所せしめたものであつて、もはや退所命令の執行停止を求める利益はないものであるから、この意味においても本件申請は却下せらるべきものである。というにある。

疏明として、申請人等は甲第一号証の一、二第二、三号証、検甲第一ないし第三号証を提出し、証人中井義彦、寺田二朗、林喜彦の訊問を求め、乙第五号証は不知、その他の乙号各証は成立を認めると述べ、被申請人は乙第一号証の一ないし三、第二号証、第三号証の一ないし三、第四、五号証を提出し、証人山本和男の訊問を求め甲号各証はいずれも不知と述べた。

よつて申請人等の本件執行停止申請の当否について考えるのであるが、当裁判所は右当否を決するについては被申請人が申請人等に対してなした本件退所命令が違法であるかどうか、右退所命令により申請人等がいうように償うことのできない損害を生ずる虞がありこれを避ける為緊急の必要があるかどうか、また被申請人の主張するように右退所命令の執行を停止することが公共の福祉に重大な影響を及ぼす虞があるかどうかの点について一応の心証を得る為、口頭弁論を開き必要な疏明方法の蒐集をしていたのであるが被申請人はその間昭和二十四年四月二十八日本件退所命令の執行をして、申請人等を大阪厚生園から退所せしめてしまつたのであつて、右事実は当事者間に争のないところである。そして行政処分はその処分をした行政官庁が随時自らこれを執行し得るものであり、執行停止命令は執行が未完結の状態にあることを前提とし、執行が完了してしまつた後においてはその停止をすることはできないものと解するのを相当とするから、本件退所命令が既にその執行を終つた以上、もはやこの理由だけで本件停止命令申請はこれを却下するの外はない。よつて申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九條第九十三條を適用して主文の通り決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例